一筆啓上

墨汁一滴

207776
日がな一日たまを追いかけて

相対 - ひろおか

2020/01/28 (Tue) 21:39:11

What we think is beautiful is in fact not beautiful .
What we acknowledge to be good is in fact not good .
This is because that "are" and "are not" need one another in order to define themselves .

『老子』の第2章を読んだ「くまのプ-」さんは、先のようにつぶやいているそうだ。この第2章は人を混乱の坩堝に落とし入れる章に思えるが、一体「くまのプ-」さんはどのように納得したのだろうか?

対極を示す「長・短」や「高・低」が相対的なことであるから別なものではないと言えるからといって、果たして「美・醜」や「善・悪」も別なものではないと言えるのだろうか?

「長・短」や「高・低」などのように物の状態を表すものであれば、その間に無数の状態が連続してあるから、原点をどこに採っても同じことが言える。これならば、別なものではないと言えるだろう。
しかし、「美・醜」や「善・悪」などのように、抽象的人の意識に関わるものについても言えるのだろうか?

女性にとって皺は「醜」であって、原点をどこかにずらせば「美」に変わるものではない。それと同じように、老人の顔に深く刻まれた皺に美しさを感じた時には、原点をどこかにずらせば「醜」に変わるものではない。
又、人の命を奪うのは「悪」であって、原点をどこかにずらせば「善」に変わるものではない。死刑制度廃止が世界の流れになっているのは、このことを表しているように思う。

「美・醜」や「善・悪」が「長・短」や「高・低」と異なるのは、恐らく、人の意識に関わるものは、「価値観」を伴っているからではないだろうか? 又、「美・醜」や「善・悪」は、はっきりと別なものであるが、「価値観」を伴っているが故に、容易に逆転し得る。

僕たちの国では、先の戦争に負けたのを境に、教科書の多くの箇所が墨で黒く塗りつぶされた。芸術の世界では、醜悪なものとされているものでも、それまで多くの者が気付かなかったことを気付かせる為に用いられれば、それは「美」として扱われる。

この「価値観」は、歴史や社会状況や個人の経験によって異なり、亦、変わるが、これらに左右されることのない「善」や「美」はどのように定義されるのだろうか?

例えば、銃弾に倒れたペシャワ-ル会の中村哲医師が、「もし道に倒れている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです」と、言っていたそうだが、これは歴史や社会状況や個人の経験が異なろうと変わろうとも「善」に思える。
では何故、そう思えるのだろうか?

墨汁一滴202001TA 熊さんの老荘 相対

Re: 相対 - ひろおか

2020/01/31 (Fri) 08:08:14

『老子』の第1章に、「無名天地之始。有名万物之母」と、ある。現代の科学は、今僕たちが暮らしている宇宙の起源をビッグバンで説明してくれている。このビッグバンを、老子が言う「無名」から「有名」への変化としてもよいのだろう。
そう考えれば、現象的に対立する二つのことも起源を同じくするのだから、根底的には一体であると言えると思う。

一方、「有名万物之母」とあるように、「有」の世界に暮らす僕たちは物事に名前を付けなければ考えることが出来ない。そして、物事に名前を付けることは、物事を区別し切り刻むことだと言えると思う。

さて、「もし道に倒れている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです」と、言う言葉があった。
もし何かの都合で手を差し伸べることが出来なければ、僕たちは心に痛みを感じる。これは、「善」と「悪」とが別のものであるからであろう。
「善・悪」が相対的なものであったり、一つのものであったりすれば、僕たちは、容易に見て見ぬ振りをして通り過ぎたり、踏みつけて通り過ぎたりしてしまうのではないだろか?

僕たちは、相対する二つのことを区別して、自分は今どちらに向かっているのかを知ることが大切なのだと思う。

余滴202001TA Re:相対

Re: 相対 - しげとし

2020/01/29 (Wed) 08:13:33

黒く塗り潰すと言えば、政府は公文書を公開する時、国民に知られたくない箇所を黒く塗り潰して公開する。これだけでも不当なことだが、「桜を見る会」では、隠したことが判らないようにと白く塗り潰した箇所があったそうだ。
憲法には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって」と、書いてある。現政権は、もはや民主主義を共有できる政権とは言えない。

それはさておき、仏教に、「善悪不二」、「生死不二」などと言う言葉がある。辞書によると、「不二」とは、現象的に対立する二つのことが一体であることとある。
これなど、老子や荘子の考えに近い所があると思うが、どうかしら?
やはり別なものと考える?


余滴202001TA Re :相対

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