一筆啓上

墨汁一滴

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日がな一日たまを追いかけて
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万葉集119-122番 吉野川 - しげとし

2019/03/26 (Tue) 08:43:43


  弓削(ゆげ)ノ皇子(みこ)、紀(き)ノ皇女(ひめみこ)を慕われた御歌。四首
119:
吉野(よしぬ)川行く瀬を速み、暫(しまし)くも淀(よど)むことなく、ありこせぬかも

吉野川の流れて行く瀬が早くて、ちょっとの間も、水の滞(とどこお)ることがないように、二人の間が、中絶えして逢われぬ、というようなことが、ないようにありたいものだ。

120:
吾妹子(わぎもこ)に恋ひつつあらずば、秋萩の咲きて散りぬる花ならましを

いとしいあなたのことを、こんなに恋しがっている程ならば、いっそあのぱっと咲いて、ぱっと散って行く習いの、萩の花であったらよかったのに。

121:
夕さらば汐(しほ)満ち来なむ。住(すみ)ノ吉(え)の浅香(あさか)の浦に玉藻刈りてな

日暮れになったら、汐がさして来て、どうも出来なくなりましょう。今の中に、この住吉の浅香の浦の、玉藻を苅りましょう。

122:
大船の泊(は)つる泊まりの動揺(たゆたひ)に、物思(も)ひ痩せぬ。人の子故に

大きな船が、到着(とうちゃく)して泊まる港に、浪が立って、動揺するが如く、煩悶するために、こんなに痩せている。縁のないあかの他人であるのに、その人のために。



 弓削皇子(ゆげのみこ)と紀皇女(きのひめみこ)の二人は天武天皇の腹違いの子女です。
 吉野行幸の折、年老いた額田王(ぬかたのおほきみ)に、長寿を祈って松の枝を折り取って送った(113番)弓削皇子ですが、紀皇女への思いは通じたでしょうか?紀皇女が作った歌が390番にありますが、この歌からだけでは、弓削皇子の思いは通じなかったのか、それとも、若くして亡くなった弓削皇子を偲んでいるのかは、分かりません。

390:
軽(かる)の池の浦曲(うらわ)もとほる鴨すらに、玉藻の上に独り寝なくに

軽の池の入り込みを、泳ぎ廻るあの鴨を御覧なさい。あんなものでも、藻の上で妻と一処に寝て、独りは寝ません。それに、私はどうしたことでしょう。


追伸.
 そうだねー、自然の気配に敏感だった昔の人たちの方が、今の僕たちより、始原のことへの想像力は豊かだったと思う。

 その代わりにと言っては何だが、僕たちは、地球の全ての生き物は、その先祖をたどって行けば、同じ一つの先祖に辿り着くことを知っている。それに、陸地ができた時には、今のような土に覆われていなかったことも知っている。
 土は有機物だから、海中の植物が進化して陸上に上がってくるのを待たなければならない。その植物が分解して土になって地表を覆うには、気が遠くなるほどの時間を要する。
 地球が誰か特定の者の持ち物でないことは、このことを知るだけで十分だが、土地や資源を巡って、未だに国や民族が争っている。

 『マルコ第2章23-28』の追伸に「新型出生前診断(NIPT)」の話があった。
 命を得て地球に生まれてくるものは、地球を成り立たせている原理に叶っているからこそ生まれてくる。ダウン症の女性が、「私たちを殺さないでください。あなたの命と私の命とはどう違うのでしょう?」と問いかけているように、僕たちのしなければならないのは、命の選別ではなく、共に暮らしていける社会の仕組み作りだろう。


墨汁一滴201903TA 口訳万葉集119-122番 吉野川

荘子 在宥篇 第11の4-2/3 - ひろおか

2019/03/22 (Fri) 06:19:42

荘子 在宥篇 第11の4-2/3

「訓読」
 黄帝退きて天下を捐(す)て、特室を築き、白茅(はくぼう)を席(し)き、間(=閑 かん)居(きょ)すること三月、復(ま)た往きてこれに邀(もと)む。
 広成子、南首にして臥(ふ)す。黄帝、下風(かふう)に順(したが)い、膝行(しつこう)して進み、再拝稽首(けいしゅ)して問いて曰わく、聞く、吾子は至道に達すと。敢(あ)えて問う、治身は如何(いか)にせば、而(すなわ)ち以て長久なるべきやと。

 広成子、蹶然(けつぜん)として起(た)ちて曰わく、善いかな問や。来たれ、吾れ女(=汝 なんじ)に至道を語(つ)げん。至道の精は窈窈冥冥(ようようめいめい)たり、至道の極は昏昏黙黙(こんこんもくもく)たり。
  視(み)ることなく聴くことなく、神(しん)を抱きて以て静かにすれば、形は将(まさ)に自(おのず)から正しからんとす。
  必ず静かにし必ず清くし、女(なんじ)の形を労することなく、女の精を揺(うご)かすことなくんば、乃ち以て長生すべし。
  目は見る所なく、耳は聞く所なく、心は知る所なくんば、女の神は将に形を守らんとし、形は乃ち長生せん。
  女の内を慎(つつ)しみ、女の外を閉(と)じよ。知多ければ敗を為(な)さん。
  我れ女の為に大明の上に遂(=進 すす)み、彼(か)の至陽(しよう)の原(みなもと)に至らん。女の為に窈冥(ようめい)の門に入り、彼(か)の至陰の原に至らん。
  天地に官あり、陰陽に蔵あり。慎しみて女の身を守らば、物将(まさ)に自(おのず)から壮(そう)ならんとす。
  我れは其の一を守りて、以て其の和の処(お)る。故に我れは身を脩(おさ)むること千二百歳にして、吾が形は未(いま)だ常(=嘗 かつ)て衰えずと。

「訳文」
 黄帝は退出すると世界のことをうち棄て、一人ずまいの部屋を作ると白い茅(ちがや)を敷物にして、三か月のあいだ静かな生活を送り、そのうえでまた出かけていって面会を求めた。

 広成子は南枕で横になっていた。黄帝は下座(しもざ)の方からすり膝で進みよると、うやうやしく拝礼をして、さてこう尋ねた。「先生は至道に達しておられると聞いています。どのように身を治めたら長生きができるのか、どうぞ教えていただきたい。」


 広成子はすっくと立ちあがると、答えた。「善いね、その質問は。さあ寄りなさい。わしはあなたに至道のことを話すことにしよう。至道の精髄は窈窈冥冥(ようようめいめい)[つまり、奥深くてきわめがたく]、至道の極みは昏昏黙黙(こんこんもくもく)[つまり、暗く静かでとらえがたい]。

  見ようともせず聞こうともしないで、精神を内に守って静かにしていると、肉体もおのずからに正常になるだろう。

  必ず静かにし必ず清らかにして、あなたの肉体を疲れさせず、あなたの精神をゆさぶらなければ、長生きができよう。

  目にうつるものもなく、耳に聞えるものもなく、心にも分別(ぶんべつ)がなくなれば、あなたの精神は肉体を守るであろう。肉体がそこで長生きすることになるであろう。

  あなたの内なるものをたいせつにして、あなたの外にむかう知識をとじなさい。知識が多いと物ごとをぶちこわすものだ。

  わしはあなたのために輝く太陽の上にまでものぼり、あの純粋な陽気の源(みなもと)にまでゆきつこう。あなたのために窈(おくぶか)く冥(くら)い地底の入口に入り、あの純粋な陰気の源にまでゆきつこう。

  天地には[それなりの]治まりかたがあり、陰陽には[それなりの]収まりかたがある。[天地の精髄を取るとか陰陽の気を支配するなどと言わないで、]つつしんであなたの一身のことを守ってゆくなら、万物はおのずと盛んになるだろう。

  わしは唯一の道をしっかり守り、万物の調和に身をおいている。だから、わしがわが身をおさめているのは千二百年にもなるが、わしの肉体はまったく衰えていない。」



 さて、『老子』の第21章には、次のようにあるから、広成子が言う「道」は、老子が言う「道」と同じと考えてよいのだろう。

 「大いなる徳を持つ人のありさまは、道にこそ従っているのだ。
 道というものは、おぼろげでなんとも奥深い。おぼろげでなんとも奥深いが、その中になにか形象がある。おぼろげでなんとも奥深いが、その中になにか実体がある。奥深くてうす暗いが、その中になにか純粋な気がある。その純粋な気はまことに充実していて、その中に確かな働きがある。」とある。

 広成子は、目や耳は「道」を知る妨げになると言っているが、『荘子』の応帝王篇 第7の7に、目・耳・鼻・口を持たない「渾沌」の寓話がある。
 この寓話では、南海の帝と北海の帝が、中央の帝である「渾沌」の恩に報いようと相談して、人間であれば誰にでもある目と耳と鼻と口の七つの穴があるのに「渾沌」にはそれがないので、一日に一つずつ穴を開けていくと、「渾沌」は七日目に死んでしまう。

 はて、さて、広成子が言うように、黄帝が「道」に従って身を守っていけば、民は豊かに暮らしていけるのだろうか?
 広成子は、「わしがわが身をおさめているのは千二百年にもなるが、わしの肉体はまったく衰えていない」と言うが、その間に、「万物はおのずと盛んに」なったのだろうか? 黄帝は、その間、「天地自然の精気を取って、それで五穀(黍・稷・菽・麻・麦)の生育を助け、万民を養いたい」と苦労をしていたはずだ。
 黄帝が「道」に従って身を守っていくことは、広成子がもう一人増えることに過ぎない。国を治めようとする者を失った民の暮らしは貧しくなっていくのだろう。


墨汁一滴201903TA 荘子外篇 在宥篇 第11の4-2/3 黄帝退損天下

Re: 荘子 在宥篇 第11の4-2/3 - 陽子

2019/03/23 (Sat) 08:21:13


 「混沌」と言えば、『古事記』に、稗田阿礼(ひえだのあれ)が話す神々が誕生していく様子を太安万侶(おほのやすまろ)が序文で次のように要約しているわ。

 そもそもの初め、混沌の中に造化のきざしが見えながら、未(いま)だ気と形が分かれる前、万事に名がなく動きもありませんでした。その時のことを知る者は誰もおりません。
 やがて天と地が分かれ、三人の神が世界を造り始めました。
 陰と陽の原理が生じ、女と男が誕生、万物の親となりました。




 稗田阿礼は、「天と地が初めて開けた時、高天(たかま)の原(はら)に生まれたのは、・・・」と話し始めるけれど、注釈に、「生まれた」のもとの動詞は「成る」とある。「成る」とは、辞書には、現象や物事が自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわすとある。
 「自然に変化していき」が、「自(おの)ずから」であって、老子や荘子は、そこに働いている原理が「道」であると言っているのでしょうけれど、今の私たちには、始原のことにはあまり想像力が働かないから難しいわね。


余滴201903TA Re:荘子 在宥篇 第11の4-2/3

マルコ第3章7-12 - 陽子

2019/03/17 (Sun) 18:31:45


  A crowd by the Lake
7 Jesus and his disciple went away to Lake Galilee, and a large crowd followed him. They had come from Galilee, from Juda,
8 from Jerusalem, from the territory of Idumea, from the territory on the east side of the Jordan, and from the region around the cities of Tyre and Sidon. All these people came to Jesus because they had heard of the things he was doing.
9 The crowd was so large that Jesus told his disciple to get a boat ready for him, so that the people would not crush him.
10 He had healed many people, and all the sick kept pushing their way to him in order to touch him.
11 And whenever the people who had evil spirits in them saw him, they would fall down before him and scream, “You are the Son of God!”
12 Jesus sternly ordered the evil spirits not tell anyone who he was.



 前回の話の「手の萎えた人をいやす」の最後(第3章6節)に、ファリサイ派の人たちがイエスを殺す相談を始めたとあったわね。『出エジプト記』の第31章15節には、「六日(むいか)の間(あひだ)業(わざ)をなすべし第七日(なぬかめ)は大安息(だいあんそく)にしてエホバに聖きなり凡(すべて)て安息日(あんそくにち)に働作(はたらき)をなす者(もの)は必(かなら)ず殺(ころ)さるべし」とある。

 安息日に手の萎えた人を治したことによって、ファイリサイ派の人たちと敵対することが明確になったイエスは、混乱を避けるためか、態勢を立て直すためか、伝道を始めた地であるガリラヤ湖の辺りに一旦撤退することにしたのでしょうね。

 今回の話で気になるのは、イエスが弟子たちに自分の為に子舟を準備させたことと、汚れた霊たちに、イエスが神の子であることを言い触らさないように命じたことね。

 この福音書の筆者であるマルコは、「群衆に押しつぶされないため」と書いているけれど、どうかしら? 神の子であるイエスは湖の水の上にも立つことができるから、ただそれだけの理由でないように思うわ。

 マルコは、何故イエスが汚れた霊にそのように命令したのかは分かり切ったことのように、小舟を準備させたことのように、その理由を説明してくれていないわね。
 私は、人々がイエスの言葉をイエスが神の子であると理由で信じることを、イエスが望んでいなかったからだと思うわ。神の子であるという理由で信じるのであれば、ファリサイ派の人たちと、何ら変わるところはないのではないかしら?
 やはり、言葉は、言葉が語っている内容を判断しなければならないと、思う。


墨汁一滴201903TA 聖書拾い読み 湖の周辺の群衆 マルコ第3章7-12

万葉集117-118番 健男や - しげとし

2019/03/16 (Sat) 07:03:52


  舎人(とねり)ノ皇子、舎人(とねり)ノ処女(おとめ)に与えられた御歌
117:
健男(ますらを)や片恋ひせむと嘆けども、醜(しこ)の健男、尚恋ひにけり

立派な男が、ぐずぐずと、思わぬ人を慕うたりすべきではないと悲しいながら、決心はして見るものの、この業(ごう)さらしの意気地なしの男は、まだ恋しがっている。我ながら情けない。

  舎人(とねり)ノ処女(おとめ)の和(あわ)せた歌
118:
嘆きつつ健男子(ますらをのこ)の恋(こ)ふれこそ、我が結ふ髪の漬(ひ)ぢて滑(ぬ)れけれ

ほんに、自分のことを誰かが思うている時に、髪が湿ってぬらぬらとずり脱けてくるというが、なるほど嘆息する程、立派な男の方が、わたしのことを思うていらっしゃったから、そのとうりになったのであります。



 舎人皇子は天武天皇の皇子の中で最後まで生き残った皇子です。思いの丈を自由に詠う時代にあって恋を賤しむ心があったのは、残念な人のような気がしないでもありません。

 舎人処女は伝未詳ですが、舎人皇子の乳母の子だといわれています。結句にある「漬(ひ)つ」は、水につかる、濡れるの意で、「ぬる」は、(ひとりでに)解ける、するするとゆるんでほどけるの意です。訳文を読んでいると、髪の毛が抜け落ちていくような感じを受けますが、束ねていた髪がほどける意です。恋人に会える前兆として下着の紐がほどけるのと同じような俗信としてあったのでしょう。


追申.
 陽子さんの『マルコによる福音書』で、「安息日に麦の穂を摘む(第2章23-28)」・「手の萎えた人をいやす(第3章1-6)」と安息日の出来事の話が続いたが、陽子さんが書き写してくれておいた『出エジプト記』にある安息日の律法(第20章8-11)を読む限り、ファリサイ派の人たちがイエスの行為を非難するのは当然のことだと思う。

 イエスは、「手の萎えた人をいやす」で、自分を非難する人たちに、「安息日に律法で許されているのは、善を行なうことか、悪を行なうことか。命を救うことか、殺すことか。」と問うているが、これは、律法に対するイエス独自の解釈(判断)だろう。イエスは、『マタイによる福音書』の第5章20節で、“I tell you, then, that you will be able to enter the Kingdom of heaven only if you are more faithful than teachers of the Law and the Pharisees in doing what God requires.”と言っている。

 これはこれで良いのだが、イエスが、『マルコによる福音書』の「安息日に麦の穂を摘む」の第27-28節で“The Sabbath was made for the good of human beings; they were not made for the Sabbath. So the Son of Man is Lord even of the Sabbath.”と言っているのが気にかかる。
 “the Son of Man”とは、イエスが自分自身を指して言う言葉だろう? これでは、善悪の判断は、イエスだけに許されることになってしまいはしないだろうか?

 イエスが生まれた時代がどうであったかは分からないが、考える生き物として生まれて来た僕たちは、イエスがそうであったように、決められたことにただ従うのではなく、その善悪は自分で判断する。そうではなかろうか?


墨汁一滴201903TA 口訳万葉集117-118番 健男や

荘子 在宥篇 第11の4-1/3 - ひろおか

2019/03/14 (Thu) 09:52:55

荘子 在宥篇 第11の4-1/3

「訓読」
 黄帝、立ちて天子たること十九年、令は天下に行なわる。広成子(こうせいし)の空洞の上に在(あ)るを聞き、故に往きてこれに見(まみ)えて曰わく、我れ聞く、吾子(ごし)は至道(しどう)に達すると。敢(あ)えて至道の精を問わん。吾れ天地の精を取りて五穀を佐(たす)け、以て民人を養わんと欲(ほっ)す。吾れ又陰陽を管して以て群生を遂(と)げしめんと欲す。これを為(な)すこと奈何(いかん)と。
 広成子曰わく、而(なんじ)の問わんと欲する所の者は、物の質なり。而(なんじ)の管せんと欲する所の者は、物の残(ざん)なり。而の天下を治めしより、雲気は族(=聚 あつ)まるを待たずして雨ふり、草木は黄ばむを待たずして落ち、日月は益々以て荒(=芒 ぼう)たり。而(なんじ)、佞人(ねいじん)の心の翦翦(=諓諓 せんせん)たる者、また奚(なん)ぞ以て至道を語(つ)ぐるに足らんと。

「訳文」
 黄帝が立って天子になってから十九年がたち、その政令は世界じゅうによく行われていたが、広成子(こうせいし)が空洞(くうどう)山の上にいると聞いたために、出かけていって面会すると、こうたずねた。「先生は至道(しどう)に達しておられると聞いてきたが、どうか至道の精髄について教えていただきたい。私は天地自然の精気を取って、それで五穀(黍・稷・菽・麻・麦)の生育を助け、万民を養いたいと思っている。私はまた陰陽の気を支配して、もろもろの生命をとげさせたいとも思っている。そのためには、どうしたらよかろうか。」

 広成子は答えた、「あなたが聞きたいと思っている[至道の精髄という]ことは事物の本質だが、あなたが支配したいと思っている[政治的な]ことは事物の壊(こわ)れ散ったものだ。あなたが世界を治めるようになってからは、雲の気が十分に集まらないうちに雨に[なってその恵みは少なく]なり、草木は葉が黄ばみもしないうちに枯れ落ちてしまい、日月の輝きもだんだんとにぶくなっている。あなたは口先だけの浅はかな心で、ぺらぺらと話のうまい人だ、またどうして至道のことなど告げられようか。」



 はて、さて、仙人の広成子(こうせいし)は、政治は枝葉末節の事だと言っている。黄帝が世界を治めるようになってから自然がおかしくなったと言っているが、これは、恐らく人が増えた人口問題なのだろう。自然に多くを頼る従来の農業では人口を養いきれなくなり、農業の形態や規模が大きく変わって行ったのだろう。
 それにつれ、「至道」を守ろうとする広成子は山の奥で暮らすしかなくなった。一人のことならそれでも良いだろうが、多くの者が同じように山の中で暮らすことはできない。
 そうであれば、政治は枝葉末節の事だなどと言っておれないはずだ。「佞人(ねいじん)の心の翦翦(=諓諓 せんせん)たる者」は、黄帝であろうか、それとも、広成子だろうか?


墨汁一滴201903TA 荘子外篇 在宥篇 第11の4-1/3 廣帝立爲天子十九年


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